『山ほととぎすほしいまま』稽古日記

■2003/05/17 (土) 初日

本番2時間前。
楽屋でのこの日記を最後にして、稽古日記を終えます。

土曜の朝の銀座は、まだ街が寝ぼけていて、霧雨に霞む風情はなんだか、見知らぬ外国の街に降り立ったような気分でした。

そう、私はこれから、別世界の小宇宙にしばらくの間、ワープします。

御覧くださる方、舞台上から藤代伊久子としてお目にかかりましょう。
残念ながら御覧頂けない方、今迄、独り言のような、とりとめのない思いを読んでくださって、有難うございました。

さぁ、メークにとりかかり、あっちの空間で呼吸を始めます!

■2003/05/16 (金) 変化していくもの、変えてはいけないもの

昔、日劇ミュージックホールの踊子さんが「今日は看護婦さんの団体だよ」とお客さんがガラガラだと目立つ背もたれについた白カバーをジョークにしていた事なんぞ思い浮かべながら紫の客席を舞台から見つめる。

2幕、3幕、終章、そして、夜、本番通りの全ての通し(ゲネプロ)
稽古通り、段取り通り、でも変化していく何か...見なれた共演者の瞳の中に見え隠れする不安や自信。時にはすがるように危うく脆く、紙一枚の虚構が崩れ落ちてしまいそうになったり、かと思うと不思議なオーラに包まれていく瞬間も見える。

芝居が稽古場より、10分延びていた。
「稽古場でやってきた事をきちんとやってください!」「変えない!思い入れが強すぎると芝居がぐずぐずになって、台なしになる」
厳しい演出の活。

変化して行かなければならない事、変えてはいけない事。

ゲネプロが終わって楽屋に文学座の神保共子さんが訪ねてくださった。
私が妊娠中に蜷川演出で「にごりえ」を御一緒して以来、すっかり御無沙汰していた。
「藤代邸の主人としてちゃんと存在していたよ。いい大人になったね」誉めてくださった。
ああ、嬉しい!ほっとした。
今回のチャレンジが、ちゃんと私のステップアップの財産となってくれそうだな、と明日からの自信を頂けた。
今迄やってきた事が、もっとこなれて、大胆に柔軟に繊細に活き活きと化けていけるように...

■2003/05/15 (木) 客席を前にして

小返し、序幕、一幕。
モノクロのセットが素晴らしい。完全「和」のあさ女の家とチエホフ劇でも始まりそうな豪華「洋」の藤代邸。
『ああ、この中でちゃんとリアルに生きていけるの?』今迄に感じた事のない、恐ろしさに、びびりも入った武者震い。
なんのセットもなく化粧もせず、怖じけづきもせず、2千人のキャパでもどうって事なくやってきた20代が信じられない程、今、本当に怖くなっている。
ある意味、居心地の悪い虚構をどれだけボロ出さずに演じ切れるか。
恐ろしくて、そして楽しいのだ。
舞台の怖さも魅力も、この年になって初めて謙虚に思っている。
『照明ってきれいだな』初めて舞台を踏んだ人のように、通している最中に見とれたりして。

さぁ、大枚8500円も頂いて、何を観せるのか、しゃきっとしなければ!

■2003/05/14 (水) 諸準備

劇場仕込みのため今日が最後の休み。
ここからはともかく体調崩さぬ様、一気に駆け抜けるしかない。

私のサイトやファンサイトのBBSで、最近すっかりお馴染みのメークのKumadaさんにメーク用品の買い出しを付き合ってもらう。マネージャーのようにパッパと仕切ってくださって心強い、おまけに売る程あるからと、スポンジやペンシル、ブラシetc頂いてしまった。昼飯だけで、プロ付き合わせる図々しさ。恐縮、感謝。

宇宙堂の芝居を観てから、楽屋に荷物を入れに行く。
まさにスタッフは戦闘状態。ウロウロしていると申し訳ないので、草々に引き上げた。
明日からの仮住まい...きっとここにいる間だけ呼吸して、後の時間は亡霊のように過ごすだろう。

耳鼻咽喉科で咽の腫れ止めやビタミン剤を調達し、臨戦体勢OK。
もう既に、頭がてんぱって夜もぐずぐず、おまけに朝の弁当の後も2度寝出来ないので、寝不足気味で疲れてきている。何はともあれ早寝しないと。

■2003/05/13 (火) モナリザの微笑

常にたおやかな笑みを絶やさない..昨日言われた「モナリザ」を意識して.稽古場最後の通しをやってみる。
●通しの前コメント
もうやる事はやっているんだから後は『気持ち』
どういう状況でも気持ちを乗せる。
●通しの後コメント
芝居は魔物。今日はオーラが来ませんでした。
ジグソーパズルや積み木のように一ケ所崩れるとグズグズになってしまう。
でも観客は一回しか観れないのだから、一生の中で一回の出会いと思って、神経を研ぎすまして。
●駄目出し
思いで動きを決めてしまうのでなく生理的に。
日常聞き慣れない俳句に関しての特殊な言葉(ex句会)とか情報は観客が解っていけるように正しく伝えるように。
明日は仕込みのため稽古がないけれど、台詞チェックは勿論、感情を確かめて。動きを直されたところは、なんでこっちを向けと言われたか、動きに慣れが来ているところはないか。

モナリザは、たまにひきつりそうになるけれど、さぁいよいよ板に乗ります。

■2003/05/12 (月) 2回通し

2回公演のエネルギー配分も感じておくようにと、一回目の駄目出しの後、一時間の休憩を入れて初めて2回通す。
きつい……
私がきつかったら、全場出ずっぱりの高橋さんはどうなるんだ!
しかし、それが女優の凄いとこ、逆に開き直ったかのように元気に見受けられる。
一度目は代役を立て、演出家として、2度目は役者として演じつつ出番が終われば即、演出席に戻って目を凝らして芝居を見つめ続ける江守さんも凄い。
根性ないなぁ、私。
2回目の駄目出しが終わっての話が素敵だった。うまく書けるかな?

演技と実際。恋患いのように胸の痛みを感じる、時にはオセロのように実人生では決して味わいたくはないような感情をも抱え込む。とても辛いけれど、それこそ俳優の喜びじゃぁないだろうか。
世の中も芝居も軽薄なものが流行っている、こんな時に、苦しい情熱を味わい、それをお客さんに「いいもの観たな」と伝えられるよう。

この芝居に参加している事に誇りを感じるメッセージでした。

■2003/05/11 (日) 着実に確実にそして、より繊細に

酒はイカン!とすっぱり抜いて、体調万全。

稽古前に今回一番苦手な「台詞なしで2人の議論に挟まっているシーン」を昨日稽古場で録ったMDをスピーカーから流し自宅で自主トレ。
2人の話の一言一言を新鮮に聞く、そして反応する。細か過ぎると逆に邪魔になる。けれど、生きた感覚は表現され続けていなければならない。
感じる力と、それを効率よく表現するための計算、あざとくなくバランスをとるための試行錯誤。
難しい....心を常に研ぎすましている...結局はそれしかないのかも。

稽古場
高橋さんの衣装合わせをしていた。全キャストの衣装がモノクロって、着物なんてそんなバリエーションあるのかしら?と思っていたけれど、これが素敵!
粋で凛々しくて...美術的にもとてもお洒落な舞台になると思う。

そして通し。「今日はトチっても忘れても一切プロンプをつけない。本番と同じに役の気持ちで処理してください。」と指示。本番に向け着実に階段を昇っていく感じが頼もしく、成果は確実に日々現れているようで、嬉しい。
全て通してから駄目出し。「今日はそんなにないよ」と仰りながらも、まだまだ細かいデティールまできっちり目配りした駄目出しが、役者にとっては心強い。
言葉の意味を確実に伝えるための、言い回しの訂正や、関係をよりクリアにするための立ち位置、ちょっとした動作の直し、芝居の決め処、観せ処のメリハリ...仕種を交えた江守さんの名優駄目出しは抜群に面白い。
そして最後に「魂を入れて。気が抜けないように。ビールと同じだよ、絞り立ての旨いのをね...飲みたくなっちゃったなぁ」

■2003/05/10 (土) 芝居モード

体調がすぐれない。
昨晩、今度の芝居の後にライブするライブハウスで打ち合わせ、バンドのWeb Siteも出来たばかりの興奮もあって確かに飲み過ぎた。
それに習慣になっていたジムにも行けていない。(稽古前では慌ただしくて、稽古後は気力がない)
芝居も身体を動かすタイプのものではないので、ちょっと別のテンションに入りかかっている頭と身体のバランスが悪い。
本番も昼が多いのは基本的な生活習慣が昼型の私の場合、助かるのだが、また朝6時半の弁当との闘いが始まる。

芝居というのは本当に役者を違う次元に運んでしまうもので、浮き世離れして漂っていられれば、こんな楽しい事はないのだが、自分が母となっての生活を持ってからは、これが酷く苦しい。
一年振りに踏む舞台の本番が近付いて、マタニティブルーに近い心境に襲われている。
この感覚はテレビや映画の仕事では全くなく、芝居だけが役者に与える魔力がいかに凄いものなのか、恐ろしくもある。

が、しかし、それゆえに魅惑の時でもある。
着々と仕上げに向かっている今を、誠心誠意楽しもう。

■2003/05/09 (金) 気持ち

今日は転換も全く止めず、終わり迄通す。
江守さんは今日は演出一本。ずっと正面で、観て頂けるのはやはり心強い。
序章、3幕、終章、途中20分の休憩入れて約2時間40分の芝居になった。

駄目出しから。
◆『これでいいのかしら?』と迷いがあると芝居が嘘になる。
 もうそんな段階じゃぁない。
◆台詞を芝居がかって言わない。言い回しは違っても、底の気持ちから言う。
◆動作をスタイルにしない。
◆役者の楽しみって、メークや衣装で変わる事もあるけれど、その役の人生を生きるって事じゃないか。その役の精神になるのを楽しむ。

居心地の悪いシーンがあって、その居心地の悪さが江守さんにお見通しで、替わりに動いてくださるのだが、その余裕がしっくり出来ない。
2人の議論に挟まれ、延々と台詞がないそのシーンが、私にとっては一番難しいシーンかもしれない。
ディベートシーンの流れを、俳壇を劇団に江守さん演ずる岳堂をグレイトな老優に例え、心理のめりはり等話してくださる。
理屈っぽい会話の応酬も俄然活き活きと、面白くなってくる。
どんな素晴らしい戯曲も、それを鋭く分析、理解し面白がる演出家と体現出来る俳優に恵まれなければ、うねっては来ない。
秋元戯曲と江守演出の幸せな出会いに立ち会えて良かった。

■2003/05/08 (木) ラストスパート

2日間、休みが入った。
休み明け、まずは男性の衣装合わせから。
衣装、装置、全てモノクロ(各シーンに一つだけ鮮やかな色のものが象徴的に扱われます)という規制があるものの、結構バリエーションってあるものだ。
衣装さんの御苦労がしのばれる。
そして、女性。うっ!私の衣装、後ろ30cm程、引きずっている。
鹿鳴館程きらびやかではないものの、お引きずりのドレスだ。
裾捌きを大仰にやるようなデザインではないので、なおさら扱いに困る。
慣れるっきゃない。
稽古用スカートに布を足そうかとも思ったが、衣装さんを拝み倒して、本番用スカートを強引に稽古に使わせて頂く事にした。衣装さん、私の粘りに、泣く泣く渋々、承諾してくださった。すみません。

「皆さん2日間、いかがお過ごしでしたか。成果を観せてください。もう稽古場で通せるのも残り6日程になりした。全力投球でお願いします!」紳士的な穏やかな口調の中に厳しさを込めた、演出の活で稽古開始。
やはり2日あくと、絡みがぎくしゃくしたりテンポが狂ったり、調子取り戻すまで、何度も繰り返される「もう一回!」緊張感で場が引き締まってくる。
スカートは、やはり使わせて頂いて大正解。ドアの開け閉め等、思わぬところでまとわりつく。汚しては申し訳ないので、稽古用自前スカートと2枚履きで出番以外は尻捲り。お上品とは裏腹な舞台裏。

いい意味でも悪い意味でも舞台の上の生活感に慣れてきた。
後から稽古MDを聴くと、慣れてこなれて来た分、また私自身の生理的なリズムに戻りそうになっていたり、硬いままなのに音が定着しつつある箇所、演説調になりそうな部分....まだまだ問題山積み。
家での稽古を聴き返す作業と風呂場半身浴テープ稽古は続けよう。
MD録音は幕が開いてもやっていようかしらと思っている。

新しい私をモノにするために。幕が下りるまで試行錯誤は続きそうだ。


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