『山ほととぎすほしいまま』稽古日記

2003年04月の日記

■2003/04/30 (水) 自分の台詞を聴く

今日は稽古がないのだが、本は必ず開かないと落ち着かない。
台詞の言い間違いチェックのために録音し始めた稽古中のMDだが、今回のような役柄だと、聴き直してみるのが結構、役立っている。
役の生活のリズムになりきれていないところがすぐ分る。
自分の日常のリズムがポロッと出ると台なしになってしまう。
かといって、ボロ出さないようにと防御だけになっている台詞は、こなれてなくて『ウ〜ん』と下手っぴぃな自分に頭抱えてしまう。
テクニックと心がちゃんとバランスとれていないところは、まだ耳が慣れ切っていないうちの今なら、自分自身でも聴いて判断がつく。
これが、音が固まって、もう癖になってしまうと動かせなくなるし、判断も鈍ってしまうんだろう....
今のうちに、ひっかかる処、チェックチェック。
そして理想の伊久子さんに少しでも近付けますように。

■2003/04/28 (月) 覚え書き

初めて全幕通した。
真面目な、いい芝居だなぁ〜とあらためて思った。
家庭と職業を持った女性にはきっと、あさ女(ヒロイン)に共感出来る部分が一杯あると思う。ことに気が強くて男っぽさがなければやっていけない女優には身につまされる。芸術に純粋であるが故に亀裂を生じてしまう彼女の激しさに、観に来た女優はみんな泣くんじゃないかしら、なんて、みんなで話した。
私の役の立場も通してみると、鮮明に感じられる。あさ女の才能を敬服し深く理解し、裕福であるだけでなく、人間的にもしっかり自立していて、論理的で優しく優雅(ふーっ)『あさ女をサポートしてやりたい』と、芝居を通しているうちに心から思えるようになってきた。その思いさえ偽り無くおさえてさえいれば、全てのリアクションはちゃんと心から生まれてくるだろう。

通しの後の駄目だしの幾つかを覚え書き風散文になってしまうだろうが書き出しておこう。
●動作について
生理的なリアクションを舞台的なウソでやらない。
いわゆる、芝居っぽい「こなす」表現。
興味のあるものから、顔をそらし客に表情を見せるたりすると興味が切れてしまう。
人の話しを聞いている時、下を向くのも存在が死んでしまう。
心配な人、興味のある人をちゃんと見る。
(見た振り、聞いている振り、デリカシーのない触れ方、形だけの動き、リアルじゃない、でも芝居としてよく使われているような「こなし」に、江守さんは凄く敏感だ。その駄目だしは細部にわたり、そして実際江守さんが動くと実にリアルに表現され、クリアに的確に伝わる。そして面白い。だから駄目出しが、もの凄く楽しい。これは江守さんに限らず、駄目だしでちょっと動いてみせる瞬間芸は、どの演出家も抜群にうまく、的をしっかり得ている事がよくあるのだが、役者の生理が分かっているだけに、陥り易い「芝居」は瞬時に見抜いてしまう)
●台詞について
台詞の節のウソ。
私の場合『品良く』という気負いのせいか、詠嘆調になりがち。
気持ちの切り替えを音で。
ちゃんと内容を正しく伝える音。
語調でうたったり、泣き過ぎたりは意味が分らなくなる。
現代の音と昔の日本語の音。例えば「...ですって」の「て」の音を上げると今風になってしまう。

稽古が終わって、スタッフ、全キャストの懇親会。
酔ってもずっと芝居の話。江守さんは勿論、なんかみんな純粋に熱くなってます。

■2003/04/27 (日)

「毎日漫然と同じ稽古を繰り返すのではなく、稽古が終われば和気あいあいでも、稽古場では楽にならずピッと緊張してください」と穏やかな口調の中に厳しさを込めた演出の言葉で稽古が始まる。
今どき珍しい、見かけない芝居だから、きちんと作りましょう、と気概が感じられる。
正直引き受ける時に迷いもあったのだけれど、参加して良かったなと心から思える。
電車に乗り、狭い階段を昇り、使い古された稽古場で、みんな真剣に真っ正直に取り組んでいる。気持ちがいい。
芝居は竹岡あさ女の家と、私の住むイギリス風洋館の大豪邸と2つのセットに別れるので、セットごとに稽古をしている今、私の稽古は今のところ一日置きのペースになる。一日空くと、まだ体から役が一旦離れてしまうような、おぼつかなさがある。
劇団300に客演した時、渡辺えり子さんが、よく「肚がない」「肚が決まっていない」とダメを出していた。
気持ちを動かす、気持ちを覚える、という江守さんの言葉は同じ事を言っている。
ちゃんと感じる真実が、存在を初めてリアルにしていく。
「それは振りしてるだけだよ」「おまじないみたいな動き」格好だけ取り繕うと、すぐこんなダメが出る。
私の台詞はそんなに多くないし、動きもほとんどない芝居だが、稽古は、ぼろぼろに疲れる。細やかな反応を、張りつめた関係を、板の上で休まずキープしているのは、かなりの労力だ。
芝居のメリハリ、立てる所、そういう芝居全体の演出操作だけに留まらない、細部にわたる作業はとても嬉しい。
潔く芝居に向かっているという快さがある。
文学座、円、転位21、花組芝居、NLT...みんなまちまちで、文学座のお2人以外はみんな江守演出初体験なのだけど、一緒に作っていこうという対等な仲間意識が、なんだかすぐに生まれた。
秋元先生のこの芝居の持っているタチと、それを真っ向からきちんと受けてたとうという江守さんの姿勢が、このいい空気を作ってくれているんだろう。
そして「一人一人の論理を伝える」というこの芝居の大きなテーマがある。
ディベートの苦手な日本人。舞台上では次々論争が展開される。それは俳句についてのものなのだけど、演劇論や人生に置き換えて考えれば机上の空論として、言葉を上滑りさせるんじゃなく、観客にその人物の人生観が、伝えられるはずだと、そして、その違いと闘いの機微を面白く観せる事が出来る筈だと、大きな野望に挑んでいる。

■2003/04/25 (金) 板の上で生きる

違う時代を、まるで違う境遇で生きてきた人を、板の上なんてとんでもない場所で、お客さんに身を晒しながら、リアルに生きる。なんて難しい事なんだ!
こんな一番根本的な演ずる基盤になる事を頭の中でぐるぐる考え巡らせながら稽古している。
テクニックで調子を変えたり、格好だけで動いたり、心の動きが身体を動かしていかないと、嘘っぱちは所詮嘘っぱち。
客席を意識し過ぎると舞台の相手にかけず、一人の芝居になってしまうけど、でも表現って、お客さんに見せるものだし...バランスが微妙。ここらへん、動いて見せてくれる江守さん、抜群にうまい。
おまけに今回は大道具も小道具もほとんど助けてくれない。
セット、衣装までモノクロ。
台詞は討論が延々続く。
頼るもの、すがるものなく、だだっぴろい空間にリアルに存在していくって、ちょっと気を緩めたら、ボロボロ壊れてしまいそう。
ベニヤ板に囲まれた偽者の板の上の本当....
こんな恐ろしさを感じずに芝居をやってきたなんて...
今迄、オーソドックスな芝居らしい芝居の稽古って、思えばやった事なかったんだなぁ。
大きく役者を分類するとしたら、私はきっと今でも演劇人の枠に、いれられるのかもなのに。

■2003/04/23 (水) 1幕1、2場

さぁ、いよいよ細かい作業。台詞がそんなになくて舞台に長く留まっているシーンが多い。舞台上で自分の居場所がしっくり来なくて居心地悪かったり、ちょっと休めしていると、江守さんにすぐ見抜かれる。
人に話かける、人の話を聞く、そして感じる。当たり前の事だけど、いつも初めてに反応する事の難しさ、次を予感してしまう落とし穴。
そして、ちゃんとそこに生きている事。台詞はたおやかに、でも嘘のない演技。
そして、稽古終わりには、台詞言い間違いダメ出し用紙が。
「そりゃ」→「それは」「だったんでしょう」→「だったでしょう」「お知らせもなしに」→「お知らせもなしで」「とても」→「とっても」etc
ほとんどのドラマなら、なんの事もなく流してしまう、こういうきっちりとした正確さを要求されるのは嫌いじゃありません。
山田太一先生の御本の時も、句読点、点の数まで意識します。
めげないぞ。自分でも稽古中、MDに録音し、無意識に言い間違えている箇所、慣れてしまわないように徹底チェック。

■2003/04/22 (火) 稽古日記を始めます

前回の「スサノオ」のような派手な芝居ではないし、稽古も地味な作業の積み重ねになりそうだし、今回は稽古日記を書かないつもりでいたのです。
が、江守さんの演出には大切な事が一杯つまっていて、『なる程なぁ』と思う事が毎日沢山あるのです。
でも、きっとボーッとした私は、その時『重要』と思った事すら、幕が開いたらすっかり忘れてしまいそうで、これは自分のために、今感じた事、分かった事(分かったつもりになった事?)記録しておくべきだ!と思い至りました。

無理に前に遡らず、今迄の稽古の経過をまず。
4月14日稽古始め。顔合わせ後、本読み。
     一字一句正確に覚えて、決して自分の言い易いように変えない事。
     と、プロデューサーから厳格な指示。
15日本読み 
次回の立ち稽古からは本を離すようにと演出から指示。

17日立ち稽古開始(1ー1)
何も無い空間。僅かに置かれた椅子にも座らないように、自分の立ち位置を模索。

18日(1ー2)
江守さんは代役。自分に客観的に芝居を付けていらっしゃる。

19日(3幕、1ー1、2)
これで全て私の出番に関しては、一通り立ってみた。
私の今回最大のテーマは、「優雅」!
初めての根っからの「金持ち」いつものお得意、せっかち、早口、リアルな生活感、全てが邪魔。挑戦しがいがあります。
終わって自然発生的に初めてのキャスト飲み会。
他の食事の約束されていた江守さんも「なんだか行きたくなくなっちゃったなぁ」と和気あいあい、いい雰囲気のチームワーク。

21日かつら合わせ、衣装打ち合わせ。洋装、洋髪。昭和初期のきりりとしたモダンさをどこまで華麗に立ち振る舞えるか....


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