『山ほととぎすほしいまま』稽古日記

2003年05月の日記

■2003/05/05 (月) 稽古が面白くて仕方ない!

日々感動が深くなる。
こんなに人の稽古を集中して観た事、今迄なかったんじゃないだろうか?
飽きるどころか、ずしんと重たい手応え感じ、見入ってしまう。

言葉がつきささる。
秋元先生の作品の素晴らしさが、稽古が凝縮してくると一層際立ってくる。
序章と終章の皮肉な符丁。そして先生自身の人生、芸術に向かった高潔な思いが溢れ出して、その厳しさが痛く切なく、胸に響く。

終章、あさ女と夫の2人だけの激しいやりとりを台本を追いながら観た。言葉はまさにそのままだが、行間のアクションは江守演出が生み出している。やるせなく圧巻。

高橋さんのあさ女は芝居に嘘がなくて、肚がきちんと決まっていて、どんどん引き込まれる。生前秋元先生が高橋さんがあさ女をやる企画が持ち上がった時、大変喜んでいらしたそうだが、納得。きっと本番になったら、なお鮮烈に輝きを増すに違い無い。

戯曲、演出、共演者、全てが信用出来て、尊敬出来る、しあわせな出会いだ。
私もこの芝居の中で、いい輪のひとつになれるよう生きていたい。

■2003/05/04 (日) 全幕

今日からは全幕。私の出番のない、あさ女の家の方の芝居を観るのは28日以来。
まるで違うセットだし、まるで違う芝居を2本観ているような気分にお客さんも、なるんじゃないだろうか?
そのどちらも出ずっぱりの高橋さんの芝居のボリュームは大変。おまけに気を抜くことのない意志の強い女性役だから、ずっと張りつめていなければならず、その緊張感で芝居が流れていくので、観る側にもかなりのエネルギーがいる。
が、観終わった(やり終わった)後に内容の濃い達成感のある芝居だ。
それは解放されるものではなく、心にドーンと澱を残していくものだけれど。
激しい彼女の傍で、結局は守り切れなかったにしても、同性の理解者として、私の役が、なにがしが観る人に安堵感を残せる事が出来たら.....

高橋恵子さんの公式WEB SITEで稽古場写真アップしてくださったので
http://www.takahashi-keiko.jp/index2.html

■2003/05/03 (土) 稽古好き

2日の日記で偉そうな事言ったけど、なんだよ、ちっとも成果出てないじゃん!
そうは、簡単に進歩も変化も出来ないものだ。
藤代邸だけの稽古は今日まで。明日からは全幕になるので、微に入り細に入りの止め止めの駄目出しは、これからはあまりないかもしれない。
あぁ、もっともっとこのデリケートな稽古を詰めてやっていたいなぁ〜
ふと、「スサノオ」の時にもそんな気持ちになったな、と前の稽古日記を見てみたら5月9日にやっぱり書いてありました!
本番があるからこそ、稽古積み重ねる訳だから、本末転倒なんだけど....
TVの仕事だと『もういいよ、本番で』なんて、そんなにリハーサル好きじゃないくせに、今回も稽古がやたら楽しい。
日に日に綿密になっていく手応えがたまらない。
特に私達の出のシーンはそれぞれの人となりの紹介を、さりげなく織り交ぜていて、難しくて面白い。まだやったことのない、チエホフ劇の面白さが分かってきた気がする。是非江守演出でチエホフをやってみたい。

江守さんと芝居で絡むようになると、自分が段取り臭くてたまらない。
もっとずっと正面から芝居を観ていて欲しいが、役者として共演の江守さんからも幕が開いても刺激されそうで、楽しみだ。

MDを聴く、青臭い、硬い。上流階級のあでやかさ。所作の柔らかさ....
映像だったら、なんとか誤魔化し切れそうな気がするんだけど。
人間性は映像の方が出てしまうものだと思っていたが、舞台の方が恐ろしく偽れないものだと身に沁みている。

■2003/05/02 (金) 半身浴

風呂の中で良く台詞覚えをする。
今回はもうほぼ入って(他の仕事だったら完璧にと言ってしまえるくらい)いるのだが、てにおは」や小さな「っ」が、とてもトリッキーで苦労する。間違えても自覚症状が持てない程、意味も流れも妨害しないので、一言一句秋元節を崩さないという孤高な目標を完遂するために全く気が抜けない。
相手の台詞を入れたカセットと台本、言い間違いペーパー全て持ち込み、最初から通してやっている。一時間があっという間に過ぎる、吹き出す汗ふきふき、ああでもないこうでもないと一人でやっている時間も、結構楽しい。
台詞をただ覚える時は苦しいが、覚えてからの、あらゆる可能性を模索して心を動かしてみるのは創っていく喜びがある。
一緒に稽古してみなければ分らない事、出来ない事は一杯だが、一人コツコツのこんな地味な作業がなければ、やっぱり変わって行けない。
それはバンドでも一緒でセッションの楽しさの後に、地味な詰める作業を乗り越えないと先に進めない。

こうした繰り返しから少しずつでも磨き上げたもの、きちんとお観せ致しましょう。プロですから。

■2003/05/01 (木)

1ー1、1ー2、3幕、藤代邸(我が家)を2度ずつ通す。

2度目は江守さん役者として初参加。
自分の出番が終わるとサッと演出席に戻り、いつもと同じように駄目出し。『駄目出ししてくれる人いなくて心細くないんだろうか?』『気持ち、散り散りにならないんだろうか?』そんな憶測など寄せつけぬ程、軽々やっておられるように見えるが、台詞も動きも、きちんと入ってらして、それはやっぱり並み大抵な事じゃないだろう。
動きは少ないのに「この岳堂という男、一体今何考えているんだ?」とこっちの想像力を一杯かきたててくれる、曲者振り。
「人の脳はまだコンピューターより勝っているんだから、凄い早さで、頭の中、色んな事がよぎる訳だよ。」前に仰ってた駄目出しそのまま、そんな頭のコンピュターを感じさせる存在感でした。

MDを聴くと1度目、2度めと同じ台詞の音が違う。
しめしめ、まだ音で決めちゃってないな。感情が一緒なら音なんてどうでもいい筈だけど、きっと慣れてくると音だけ覚えて、心から言わずにその音だけ出すようになってしまいそうで。
しかし、時々少年ぽい硬さがあって、それがエレガントの邪魔をして、演説調に聞こえてしまう。
台湾のよく当たるという占師さんに「貴女は本来,男だ」と言われたが、ほんとうにそうなのかもなぁ。
「じゃあちらへいらっしゃらない?いまお食事が済んで、紅茶が出たところです。ご一緒にいかが。」なんの事もないような、この台詞を、もう2度も「音が不自然」と駄目出されている。う〜ん軽やかに柔らかくと試みてはいるのだが...ともかく気持ち新鮮に柔軟に次の稽古でも試してみるしかないな。
役に慣れて「こなれ」なきゃいけないけど、「こなし」ちゃいけない。

理屈っぽい討論のシーン、今日も演劇論に置き換えて、江守さんが説明してくれる。そして「そこに参加してない時って、『まぁ〜だやってるのかよ』って感じになるだろ?」とその場の他の役者へのアドバイス、分る分る。

全て基本は人間関係の機微。
「間がもたない時は相手の話、聞いていればいいんだよ」う〜んこれがなかなか。

言い間違えペーパーは日々みんなに配られ、一体いつまで貰うのかしら?
意味は通じてしまうので「てにおは」の一字間違いとの闘いは延々続きそう。
台詞チェックと駄目出しとおまけに毎日風呂でも台詞稽古するものだから、台本はもうふにゃふにゃくたくたで、愛着ひとしおです。


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