根岸の物置

「時の物置」稽古日記

2004年05月

■2004/05/11 (火) 08:38:41 立ち稽古開始

立ち稽古初日で一幕目終わりまで、もう荒立ち。
有馬さん初め、みな台本を持たず、立ち初日とは思えぬ濃さ!
明日初日だって、幕を開ける事出来そうな位、みなさん、キチッと自分でやれる事を、ちゃんとやってきている。
プロだ。ここから先に行くんだ。
セットは家の一階部分のみ。普通の日本家屋での普通の人々の話なので、動きも一度決まってしまえば、そんなには大きく変わる事もない。
これからの稽古は当然、どんどん綿密に恐ろしく繊細になって行く事だろう...
そう思うと嬉しく、わくわくする。

永井さんの本は立ってみると、一層面白い。
読みだけだは見えてこなかった人の機微が一杯詰まっていて、それをこれから江守さんがどんな風に際立たせていくのか、本当に楽しみだ。
今日はもう二幕にかかるので、まったり日記を書いてもいられない。
家の雑務を片付け、自分の予習充分にして、初の二幕に臨みたい。
今のベストを持っていけば、そこからもっと稽古を深めていけるのだから。

読み合わせでは、集中度が濃く、帰るとドッと疲れて何も出来ず寝てしまう程だったが、これは私だけに限らず、他の出演者も同じだったそうだ。
立ちに入ったら、もう興奮していて、一幕最後の「寿司!寿司!」という御近所まで巻き込んだ、大合唱シーンにつられ、稽古終了後、出演者誘って、寿司屋に向かってしまった。

この芝居、きっと、とてもとても面白くなる。
大人がクスッと笑えるウィット一杯の。
そして願わくば、60年当時の日本人を懐かしさも込めて、振り返りつつ、そこから今へと変遷してきた私達のこれからの行方を考えさせられる...
そんな余韻を残せる芝居になったらと、胸はときめいている。

■2004/05/09 (日) 16:58:36 「あずみ2」現場より

稽古場に立ち稽古用セットを建て込むため、今日は稽古休み。
私は昨晩、稽古場から福山まで移動し、今日は深夜迄、オープンセットで過ごします。
携帯から日記の書き込みにチャレンジしていますが、撮影の合間の仮設テントの中では、落ち着いて稽古を振り返るのもままならず、おまけに使い勝手も思うようにいかず、書き込みは無理のようで断念することにします。

■2004/05/08 (土) 08:21:26 本読みが面白い

覚えて言って、それでお終い。
哀しいけれど、実際そんな仕事が多い中、台詞の機微や細かい細かいとこ洗い直し、検討してみるって、とても楽しい、嬉しい、気持ちがとても豊かになれる。
ブラッシュアップ、心の栄養。「創る」という原点に立ち戻った感じ。

江守さんは本能的、野性的って言ったらいいか、届かない言葉、芝居じみた嘘、鋭く嗅ぎ分ける。
芝居の嘘、ホント、慣れ、鈍さ、落とし穴一杯。
理屈でなく、江守さんから指摘される事は「生きる本当」なので、聞いているこちらにも、凄く分りやすい。
勿論そこに演劇的なデフォルメやアタックをメリハリよく、小気味良く指示していく。
コメディっぽいなんて狙いが覗くと、もうそれは笑えない。
オーバーアクトではなく肚に嘘が無い表現の増幅は気持ち良く笑える。
また永井さんの戯曲は、その手の『クスッ』の笑いの種が随所にちりばめられているので、役者の品位がかなり露呈されるな、ドキッ。
笑いって微妙だよなぁ〜安っぽい、知性がくすぐられる、時に紙一重。
笑いが共有出来た時ってとても楽しいけど、面白さって結構個人差激しくて微妙。笑いの品の基準だって、人ぞれぞれ。
でも、だからこそ、自分が面白い、可笑しいってこだわり、大切だな。

読む側も演出側ももう時には半分立ちかかって、静かに穏やかに、でもみんな一杯の集中力で読み進んでいく。
楽しいなぁ〜

実際の人間は言葉に出した瞬時に自分の言った事をコンピューターも叶わぬスピードで聞き、考え、それに対してあらゆる思いが錯綜している訳で...
黙っていないで話すという事は伝えたい事がある訳で...
そんな全てを面白がる細やかさとパワーを江守さんが時には体現しながらの演出。
また御一緒させて頂いて良かったなぁ。

■2004/05/07 (金) 08:31:35 2日目朝

一年振りの舞台の本読みは、自覚がないまま、酷く神経を集中させる作業だったようで、昨晩はとても疲れて、早くに休んだ。
たまにしか舞台をやらなくなった昨今、役に取り組む以前に、
「舞台人になる」まず、そこからの作業が私には必要みたいだ。

永井さんの本、読んでみてチエホフだと思った。
チエホフの面白さは学生時代には、まるで分らなかった。
自分が年を重ねていくと共に、あらゆる人生が絡み合っていく、その構図に魅了され、増々生きていく事の愚かしく、愛しい、その深みを覗いてしまうのだ。
表現する事の醍醐味には色んな形がある。
仕事に携わる、喜びも数限りなく、可能性は際限がない。

一見地味な頭遊びから、それを身体で表現していくダイナミズム、じっくり楽しんでみよう。

■2004/05/06 (木) 20:04:31 顔合わせ、本読み

「兎も角、まず、読みたいように読んでください」と全体ノンストップでト書きも読まず、1幕2幕とそれぞれ通しで読んでみる。
110分。いい時間じゃないでしょうか?
その後、演出の江守さんが意図する処の話。
作、演出、既に2回上演している永井愛さんの想い、それぞれに面白かった。

江守さん
ギャグや笑いを意図的にやろうとすると嘘になる。人間がしゃべる。そこに生きる。
スーパーリアリズムで。妹尾河童さんの装置も徹底的にリアルにして貰いました。
舞台の上で活き活きと登場人物の肉付けがされ日常を生きる。大きな枠組みとしての「新劇」の面白さを。

永井さん
1961年。良い時代の懐かしさを書きたかった訳ではない。
プライバシーという言葉が流行語になる程、プライバシーがなかった時代。
関わり合いが濃くならざるを得なかった時代。
学生も真剣に政治を考え、みんな真面目だった。
60年安保の熱さが挫折し、テレビが台頭し、電化製品が家庭に入り込み、エゴイズムで妥協し始めた時代。
日本の過渡期。政治から経済へ。

とは言え、そこには今はもう無くなってしまった古き良き時代の日本が日本人が。
当時私は7才。それなりに思いも懐かしさも。初めてテレビを家で迎えた子供なのだ。

学生役をやる若手俳優からは「ガリ刷りって?」なんて質問があると、もうこっちはあの鉄筆がやすりのような板にガリガリ音たてたロウを削ったあの感触、インクの匂い、ああ!懐かしい。
こんな時期だからこそ、こんな時代にしてしまった日本の転換期を、懐かしい日本人を、もう一度舞台から問いかけてみる、そして自分も考えてみる、いい機会だと思う。

■2004/05/06 (木) 08:01:01 稽古場に向かう前に

海外ライブハウスでの素敵な経験後、
妙に煮詰まっています。
芝居が身体使って、歌って踊って...みたいな作品だったら、
すぅ〜っと夢中になれるのだろうけど..
(昨日、汗だく、くたくたの新感線芝居のみんなが羨ましかった)
左脳作業に浸りつつ、生理が抵抗したり、不安定な精神状態で、
いつの間にかプロになっていた「役者」と言う仕事について、
アマチュアから本気になりだしてるバンドについて、
「何を歌いたいの?」「何をしたいの?」と辛い自問に
責め立てられています。
行動してから考える、人と会ってなんぼの私、
稽古に入って、江守マジックで、またワクワク新たな発見させて貰える事を期待して。

■2004/05/05 (水) 11:10:07 前夜

明日から稽古始めです。
どうなるか、見当もつかない今、また覚え書きを始めてみようと思いました。
積み重ねていれば、ただの記録としてだけでなく、いつか振り返った時に、
何かのヒントを貰えたりするかも、と、図々しい狙いもあって、
また初日まで稽古場で感じた事を徒然なるまま、書き綴ってみようと思います。

一応台詞は入れたとは言っても、理屈っぽい言い回しが多く、
すらすらと感情に乗って出てくる類いではなく、
かなり集中しないと途端に途切れてしまいます。
慣れしかないな、と間を置いてはMDやカセット使い繰り返しやってみてはいますが...
なんて、日記を書き始めているうちに、午前の練習時間がなくなってしまった!
今日はこれから新感線「髑髏城の七人」楽しんでこようと思っています。


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